作家シャーリイ・ジャクスンが長編小説「絞首人」を書くまでの過程を描いたこの映画は、正確に言うと“伝記映画”ではない。当時、シャーリイ・ジャクスンと夫スタンリー・ハイマンの間には四人の子供がいたはずだが、家族の賑やかな風景は物語から排除されている。(「野蛮人たちとの生活」など、ジャクスンには子育てと家庭生活について書いた愉快なエッセイもある)
代わりに、バーモント州の彼女の家から散見されるのは、シャーリイ・ジャクスンの数々の作品からのモチーフだ。この家は果たして、実際の家なのか、それとも作家の内面のメタファーなのか?
「現実であり、メタファーでもある」と、ジョセフィン・デッカー監督の出世作「Madeline's
Madeline」(日本未公開/2018)でモリー・パーカーが演じる前衛劇団の演出家なら言うだろう。主人公のビジョンと現実が共存する世界を、主観的な視点で撮る。制御できない感情に追随するような性急なカメラの動き、何の切り替えもなくシームレスに訪れる幻想シーン。デッカーは映像における彼女独特のマジック・リアリズム表現を、シャーリイ・ジャクスンのストーリーに持ち込んだ。
虚構と事実が混じり合い、リアリティから浮遊したところで、ジャクスンの真実をつかもうとする──それはジャクスンがベニントン大学の女性学生失踪事件から「絞首人」を生み出す過程に似ている──この作品は、「魔女」という異名を持つ作家の神話を強固にする“伝奇映画”だと言えるかもしれない。
その神話に分け入っていくのに、私たちは仲介者を必要とする。ベニントン大学で講師を務める夫についてきて、ジャクスンとハイマンの家に間借りすることになる若い女性、ローズ。観客は彼女の視点で近づきがたい「魔女」の世界に足を踏み入れる。彼女は奇妙な女主人であるジャクスンのカリスマ性に魅了される──それと同時に、恐れてもいる。
この頃のシャーリイ・ジャクスンは作家としてはスランプのただなかで、精神的な問題から家から出ることもままならない。彼女は度々自分の作品で、家に囚われる女性たちを描いた。
家に、そして自分自身に囚われたジャクスンが、失踪した女学生とチャネリングして彼女の行方を追うには、媒介が入り用だ。そこに、ローズがやって来た。彼女はシャーリイ・ジャクスンの内部世界に取り込まれて、そこと外界をつなぐ存在となっていく。しかし家から一歩踏み出して彼女が体験するのはまたもやシャーリイ・ジャクスンの物語世界だ。ローズは目覚めながら見る悪夢となった日常を送りながら、ジャクスンの苦悩を自分のもののように味わいながら、失踪者の孤独とつながろうとする。シャーリイ・ジャクスンは若い女性の心理をつかむために、ローズを手袋代わりにしたのである。素手で触れるのは、あまりに危険だったから。
では、これは身近な若い女性を壊して物語を手に入れる、モンスターのような芸術家の物語なのだろうか?
ローズはジャクスンの世界に観客を招き入れ、かつジャクスン自身の媒介となって潰されてしまう、二重の被害者なのだろうか?
女性同士の軋轢や支配の物語は、デッカーにとって大切な題材なのだろう。「Madeline’s
Madeline」の主人公マデリーンは、前衛劇団での稽古に救いを見出す16歳の少女だった。不安症を抱える彼女は現実とのつながりを度々失い、母との関係に苦しんでいる。演出家のエヴァンジェリンはマデリーンの告白を自分の劇に組み込んでしまう。追いつめられたマデリーンは稽古で爆発の末に表現者としての自分を解き放ち、彼女自身の物語の主導権を取り戻すのである。
「Shirley
シャーリイ」の冒頭、列車の中でジャクスンの「くじ」を読んでいたローズは、人の暗部を抉り出すような結末を読んで何故か大胆になり、夫を誘って車内でセックスをする。いきなり崖から放り投げられて、地面に叩きつけられたようなラストの末に、訪れる安堵のような何か。それは「嫌な話」「バッドエンド」だと知りながら、人々がシャーリイ・ジャクスンの作品を読まずにいられない理由になっている。
若い女性らしい理想を奪われ、作家の創造の過程に散々引きまわされて、ローズはイノセンスを失い、シャーリイ・ジャクスンの物語から離脱する。夢から覚めた彼女は、辛い現実に耐えうる女性になっている。失ったものがある分、彼女は身軽だ。ローズにとって、これは解放の物語である。
一方、「絞首人」を作り出す過程で生じた業は、全てシャーリイ・ジャクスンが背負う。「魔女」であっても、創造者である彼女は無傷ではいられない。そして自分自身からも逃げることができない。「家」にとどまり、ジャクスンは涙を流す。暗闇の中の祝祭に彼女を残して、観客である私たちもまた、闇を知った分だけまばゆい光の中に戻っていく。
いとうひでみ
イラストレーター
次に何が起こるかまったく分からず、画面は美しくスリリングで、まるで魔術の過程を見せられているかのようでした。
小川公代
英文学者
シャーリイの魔女性は、彼女がローズに「わたしは魔女なのよ」と言ったり、タロットカードを引かせたりする場面でも暗示されている。シャーリイが「なぜ逃げないの?」とローズに尋ねる場面も、「なぜ主婦であることから逃げないの?」という挑発的な問いとして捉えられる。ローズにとって、シャーリイの家父長制への反逆的思考は魅惑的なのだ。
おすすめの一冊
『絞首人』 (文遊社)
『絞首人』に現れる「トニー」という女性が、家父長制的な抑圧から女性を解放してくれる存在として描かれている。映画『シャーリイ』に登場する、気性が激しいながら魅惑的で、ときに人の心を巧みに操作しようとするシャーリイ・ジャクスンの魔女的魅力を理解するためにもっとも示唆的な作品。
春日武彦
精神科医・作家
これが執筆中のシャーリイの姿だったのか。驚きと納得のキメラに打ちのめされたよ。やはりシャーリイは魔女だね。そしてラスト・シーンでのエリザベス・モスの演技。あれこそ役者冥利に尽きるだろうなあ。
おすすめの一冊
『こちらへいらっしゃい』 (早川書房)
夫スタンリーが、シャーリイの死後に編んだベスト版短篇集。未完の遺作長篇や未発表作を含み、「くじ」の反響とそれにまつわる騒動を語った講演録が収録されているのも重要。わたしの大好きな「ルイザよ、帰っておくれ」も本書でしか読めない。なお序文でスタンリーは、この本を再婚した妻の協力を得て編んだと語っている。出版されたのはシャーリイが亡くなってから3年目で、スタンリーは精力的な人だなと思った記憶がある。ぜひとも56年ぶりの復刊を望みたい。
川野芽生
歌人・小説家
「シャーリイ」の名を持つのは、主人公だけではない。この映画こそが「シャーリイ」であることの意味を、観終わったあと、噛みしめることになるだろう。
おすすめの一冊
『ずっとお城で暮らしてる』 (創元推理文庫)
この世に背を向けて、現実という生き地獄を幻想の力で乗り越えていく孤高の営みが美しく、姉妹二人で閉じ籠もる、今にも壊れそうな幸福が愛おしくて好きです。
好事家ジェネ
YouTuber
夢か現 か、彼女の笑みは正気か狂気か。シャーリイという作家の日々を傍観していたつもりが、いつの間にか彼女の悪夢のような創作世界に取り込まれてしまった。その悪夢は私を社会という足枷からも自由にする。ローズがシャーリイとの共犯生活を経て、従順な妻という抑圧から解き放たれたように。シャーリイ、それは恐ろしい非日常の作家。そして悪夢を操る魔性の女───大いなる魔女。
おすすめの一冊
『くじ』 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
その村で毎年行われるくじ引きの会がいつ始まったのか、誰も覚えていない。開会のしきたりも、初代のくじ箱も失われ、今や何故くじ引きをするのかすら忘れ去られてしまった。しかし村人たちは覚えていた。そのくじで選んだ人を、嬲(なぶ)り殺すことだけは────
村に残る謎めいた風習がもたらす衝撃のラストに思わず背筋が凍り付く。仄暗い因習の恐怖と、それを疑わない人々の狂気がジワジワと胸を犯してくる、土と血の臭い漂う異色の短編である。
児玉美月
映画文筆家
「この世界は女の子には残酷すぎる」と口にしながら、それでも時代が許す限りの紐帯を引き連れて生きてゆく女たち。『燃ゆる女の肖像』をいみじくも再演するだろう。
芸術創作の過程を通じて交わされるその欲望と解放は、
おすすめの一冊
『鳥の巣』 (国書刊行会)
シャーリイ・ジャクスンの長篇第三作『鳥の巣』は、主人公である若き女性エリザベス・リッチモンドの多重人格を描く。ジャクスンらしい閉塞的な空間たる舞台設定のもと、一見平凡に見えるヒロインがベス、ベッツィ、ベティと目まぐるしく顔を変えてゆく。
そこで炙り出されてゆく人間の自我の脆弱性という主題は、ジャクスンの作家性にとって、女たちが互いを侵食する映画『Shirley シャーリイ』にも通ずるきわめて重要なものであるように思える。
柴田元幸
翻訳家
手持ちカメラを多用した不安定な映像と、傷つける者傷つけられる者、護る者護られる者が容易に反転する不安定な関係とが地続きになっている――という図式にも安定しないところがまたよい。
おすすめの一冊
『丘の屋敷』 (創元推理文庫)
この本、三回読んだと思うが、何が起きているのか、まだよくわからない。こっちの英語力のなさのせいかもしれないのだが、言葉自体はごくシンプルなのに、事実として何が生じているのか、よくわからないまま読み進めていく。まあでも「魔性の恋人」(『くじ』所収短篇、深町眞理子の訳題)もそうだったな……「事実」を解読するのではなく、「気分」がじわじわ浸透してくるに任せることの快楽、というところがジャクスン作品には間違いなくある。
冨安由真
現代美術作家
生み出すことの苦しみ。現実と虚構の境目が混沌とする中で、周囲を消費しながら創作するシャーリイの姿。そして恋愛とも違う、家族愛とも違う、きっと名前のついていない愛のかたち。圧倒的な才能を圧倒的たらしめていたのは、そんな愛も憎しみも、現実も虚構も、全てを創作のために取り込めてしまうところにあったのかも知れない。
日常の隙間に立ち現れる白昼夢のように、ずっと心に残り続ける映画だと思いました。
おすすめの一冊
『丘の屋敷』 (創元推理文庫)
姿形を持った「霊」が出てくるわけではなく、その気配によって不気味さが表現されているところや、光る木々の合間を歩いていく場面など、たとえ「恐怖のシーン」でも描写が美しいところが好きです。
名久井直子
ブックデザイナー
シャーリイの放つ妖しく強い光と影。
観ているこちらも、嫌悪を愛に変えられてしまった。
小説家ってこわい!(周りの小説家たちを思い浮かべつつ)
はらだ有彩
文筆家、イラストレーター
シャーリイについて、全てを語ることはできない。放っておくことも、人生を託すこともできない。ただ読んで、見て、鏡に自分を映してみることしかできない。
深緑野分
作家
見事。シャーリイ・ジャクスンを愛してやまない我々が心に描いてきた彼女の姿がまさにここにある。魔性の恋人、青い服の女、予兆、女同士の紐帯、『Hangsaman』を完璧に解釈したゆえの結末に鳥肌が立った。素晴らしい。そして魔女シャーリイはこの映画を通じて女たちと手を繋いでくれる。なんという幸福だろうか。
おすすめの一冊
『処刑人』 (創元推理文庫)
生涯No.1小説は『ずっとお城で暮らしてる』とはいえ映画『Shirley シャーリイ』に『処刑人』は外せない。同作は『絞首人』としても翻訳されているが、『処刑人』を推したいのは魔女に感化されて深読みしすぎた拙解説があるから。映画にも取り入れられた予兆や完璧な解釈によって生まれた結末を二度味わってもらいたい。